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 アンデルセンの童話「野の白鳥」で、沈黙の誓いとともに編みあげたイラクサの帷子を白鳥たちに投げた後、エルザは叫ぶ。「私は魔女ではありません!」
 私の沈黙の誓いも果てた。「私は自業自得論者ではない!」叫ぶためだけに立てたささやかなブログ、十八禁。コメントいただける場合には、ローカルルール必読でお願いします。
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個の欲望と、群れの掟……相反する“Natural”の調整

「人間は遺伝か環境か…遺伝的プログラム論」という本に、ホモ・サピエンスは初期から100人から200人の集団で生活していた、という話がでてくる。チンパンジーやボノボ*は、10から20匹の集団になると、分裂してしまうのだそうだ。ゴリラの群れはもっと小さく、オラウータンはほぼ群れをつくらない。人間の群れは、例外的に大きいのだという。
 集団で生活するということは、利害の対立の調整が行われるということだ。育つ途中で、歯を剥いて威嚇されたり、ときには暴力でもっと強いサルに従わされたりして、学習するのだ。


 ヒトもそうだろう。
 集団で在るということは、利害を調整すること。それは、毛皮をまとって穴居していた頃でも、大都会が出現した現在においてもかわりない。集団が大きくなればなるほど、所属個体の多様性は増し、利害調整は難しくなる。
 その結果。ハンムラビ法典から現代の法体系に至るまで、法というものができたんだと思う。都会が「群れ」の“子孫”なら、法は「群れの掟」の子孫だろう。
 この話題ではないのだが。著作権関係の話題にかかわずらっていたとき、私は何人かの「法律嫌い」の方と知り合いになった。
 .

人間には人権があるかもしれない。でも霊長類ヒト科・ホモサピエンスには人権なんてない。人権どころか法律はすべて及ばないでしょう。人権があるのは「社会的」な人間に対してであって、「生物学的」なヒトに対してではない。それで、霊長類ヒト科っていう生物の一部分に「社会性」ってのがあって、その部分に対しては人権が適用されるんだと思う。

作品だって同じで、作品の存在そのものや作品の魂に著作権なんてない。人権と同じように、作品の「社会性」、つまり市場に流通しているかって部分に対しては著作権が発生するんじゃないかと思う。
作品の魂や精神性に、法体系が適用されるなんて、むしろ作品を貶めているのといっしょじゃないのかと。

作るより、作ったものを守るのに熱心な人たち
 これに関しては、私個人は強烈な違和感がある。

 人を殺してはいけない。
 殺人罪があるから、人を殺してはいけないのではない。人を殺してはいけないという社会のコンセンサスがあり、それを社会の仕組みとして支えるために殺人罪がある。
 他人の作品を盗んではならない。
 著作権法があるから、盗作してはいけないのではない。盗作してはいけないという社会のコンセンサスがあり、それを支えるために著作権法がある。
 小説家も画家も、先人の作品を学び、自らの作品の礎とする。だからといって著作権法の庇護をはずれることはない。

ヒトゴロシ 私らは、いまとりあえず、民主主義の社会に生活している。法律は、多様な価値観をもつ私たちのコンセンサスに一番近いものだ。すくなくともそのはずだ。
 どんなシステムを作っても、悪用する奴は悪用する。法律が意味をなさないなら、代わりに私たちの個の欲望を調整するための何かを提案すべきではないか?(地獄少女はなしでおながいしますw)

そもそも著作権法なんてのは、著作物で商売する人々の利益を守るための法律だから(暴論)、お金にならない私信やコメントを著作権法が保護してくれると考えるだけ無駄だと思う。

Adankadan Blogにてというコメントもいただいたことがあるが。1円訴訟という言葉もある。人はときに、名誉のためだけに戦うこともあるのだ。

 いかん。横道にそれてしまった。今稿は著作権法の話じゃないんである。
 
 かつては。

強姦の罪とは女性の心身に損害を与えたことに対する罪なのではなく、その女性を所有している男性の、あるいはその女性をやがて所有するであろう男性の所有権を侵害したことに対する罪という発祥の起源があります。

Yahoo知恵袋hcmxm954氏 だったのだそうだ。

 ネットを漁っていて、見つけたのが、「強姦罪について」。筆者・森川恭剛氏は、強姦をめぐる理論を3つに大別している。
1.保守主義:

強姦の本質を、男性の所有権の侵害であると捉える。

2.リベラリズム:

強姦とは、拳骨やスティックではなく性器によって問意なく不法に接触すること。

3.ラディカリズム:

強姦を一種の貶め(中略)征服感の誇示としての侮辱であると捉える。


「強姦の本質は、妻に対する夫、娘に対する父親の所有権の侵害」。この概念については、最後の稿でも再度、触れたい。
 胸に手をあてて考えるに、自分の感覚は、ラディカリズムに近いと思う。人身売買がいけないの同じ理由。レイプは、レイプされた者の、人としての尊厳を傷つけるから、いけない。レイプだけではなく、強制猥褻も同様だと思う。

 ヒトの群れのなかで、食べ物を持っている個体と、飢えている個体がいるとしよう。飢えたら食いたいのは本能だが、盗んで食えば犯罪である。これが法であり、群れの掟なわけだ。
 セックスをしたい個体と、相手になりたくない個体がいる。そこで、レイプしてはいけない、というのは、同様に法であり、群れの掟なわけで。
 本能なのだからやっていい、というヒトは、法という調整機構を否定していることになるんじゃなかろうか。

次稿でメインは終わる予定
・私たちは本能が知らない時代を生きている。

*ボノボ=昔はピグミーチンパンジーといった。
和光大学『愛と平和のボノボ』
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