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アンデルセンの童話「野の白鳥」で、沈黙の誓いとともに編みあげたイラクサの帷子を白鳥たちに投げた後、エルザは叫ぶ。「私は魔女ではありません!」
私の沈黙の誓いも果てた。「私は自業自得論者ではない!」叫ぶためだけに立てたささやかなブログ、十八禁。コメントいただける場合には、ローカルルール必読でお願いします。
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◇更新履歴◇
このブログについて (03/05) /経緯〜「自業自得論」 (03/05) /語り手の自己紹介 (03/06) /ヒトにそれを強いるかわり、それを勧めるのに欲望、それに報いるのに快楽を与える。 (03/08) /快楽を与え合う快楽〜山田詠美『蝶々の纏足』によせて (03/12) /《FC2》ブログの新機能、「パスワード記事」を試用してみることにした。 (03/17) /悲鳴という媚薬〜コニーウィリス『わが愛しき娘たちよ』 (03/17) /スパイウェア問題にせめてもの方策として (03/23) /個の欲望と、群れの掟……相反する“Natural”の調整 (03/23) /婚姻の晩餐 (04/03) /寄稿掲載 (04/10) /私たちは本能が知らない時代を生きている (04/14) /沈黙と18禁 (04/22) /更新は「とりあえず」完了です。 (05/24) /旧記事のコメントを非表示にしてあります。 (08/28) /
沈黙と18禁
私は「ブログ論のブログ」を書くようになる前に、何年か、ゲームブログを書いていた。とにかくこういう性格なもので、ゲームブログでさえ激論系だった(笑)
「私の言葉は、軽いナイフではありません。持ち嵩りのする出刃包丁です」
と、タンカを切ったのは当時のことである。ちなみに、「女狐僧正」という二つ名は、そのゲームで、回復僧正として仕えた君主に賜った。
ンでもって、最近。「ブログ論系」の身近で、ちょっとした諍いごとがあった。細かい事情は全て省くが、私にとって、選択肢は2つあった。対立構図になった両側にむかって出刃包丁振り回すか、(少なくとも表では)沈黙するかである。私は沈黙を選んだ。もっとも、年齢が上のほうの方には、私信で忌憚のないところを申し上げたので、言い残したことはない。若い方の方とは交流が切れた。切れてようやく、このブログを書くことにした。
巻頭言で、「私の沈黙の誓いも果てた」と書いたけれど。このブログで破った沈黙には、もう一つある。6年か7年前まで、私は、主にNIFTYなどで、それなりにフェミニズムやセクソロジーに関して発言をしていたのだが、この数年は沈黙していた。
なぜ沈黙したかというと、ある交流範囲のなかで自分が書きたいものはほぼ書きつくして、これ以上を書くと繰り返しに陥る、と感じた、というのが、一因ではある。だがもっと大きかったのは、フェミニズムが「女性を」幸福にしたか、その根本に疑問を感じた、ということがある。
このブログの最初に書いたように、フェミニズムは「私を」幸福にした。あの時期、フェミニズムに出会っていなかったら、私は今よりもさらに惑い、身近にいるものの価値観に屈した進み方をし、結果として自分自身の感覚にあわない生活を自分に強いていただろう。フェミニズムは私を幸福にした。この言い方にもし語弊があるとしたら、フェミニズムは私をある種の不幸から助け上げた。
だが、私は、身近の女性の友人たちが、「かつての価値観」であれば順風満帆の生活……本人が望んだ相手との結婚、専業主婦、子育て……を送りながら、
「イマドキ、これでいいのかしら」
と、疑問を口にするのを見てきた。
たとえば、である。私という一人が、フェミニズムによって10の「幸福度」を得たとしよう。しかし11人が1ずつ「幸福度」を減じていたとしたら、その集団は、フェミニズムによって幸福になったと言えるだろうか。
フェミニズムは私を幸福にした。けれど、フェミニズムが「女性を」幸福にしたか? そこに疑問をもったときに、私は、「私の幸福」を喧伝しつづけることに躊躇を感じて、口を閉ざしたのである。
数年のうちに、交流の範囲がすっかり入れ替わって、「同じ方たちに同じことばかり読ませている」という状況が変化したこともある。それから、世間において、男女均等が進み、その分、フェミニズムやセクソロジーの声が小さくなった気がするというのも少しある。私はもう一度、いま、お付き合いのある方たちの前で、自分の立脚点をまとめてみたいと思ったのもある。
とはいえ。「WEBでオープンに公表はするが、18禁」というハンパな形を取らさせていただいた。
読んでいただいた方のなかには、お気づきの方も多いと思うのだが、今回書いた内容は、成書のなかにあった仮説にさらに自分の仮説を積み上げている部分がある。ご自分の考えがすでに確立している方であれば、「こんなことを考える奴もいるのか」で済むが、まだ観念が固まってないティーンエイジャーに見せて、その人の考え方の「基礎工事の部分」に組み込まれてしまうには、いささか自信がない。
かなり「オタク」系の話になって恐縮だが。
私は、中学1年まで「赤ん坊がどこから生まれてくるか」理解していなかった。「オクテ」というより、ちとばかり「ぼんやりしている」と言うべきであろう。中1でそれを知って、とっても驚いた……、という話は、ある方のブログのコメント欄で、ちらっと書かせていただいたことがある。
で。クラスに、当時はそんな言葉さえなかったと思うが、「いまでいうオタク」の人たちがいて。中学2年で、「いまでいうBL」系の話題を知った。「男性/女性の常識」が自分のなかで確立するまえに、違う知識が流入している感じである。現在の私が、同性愛というものにまったくタブー感を感じることができないのは、どうも、このせいではないかと思うのだ。
よく、語学の習得には、「適齢期」があるという。肝心の年代には諸説はあるようだが、ある年齢までに習得するのが効率がいいようだ。性の常識、モラルといったものにも、なにかそんな「適齢期」があるのではないかという気がするのだ。(これについてはまとまった研究をみたことがない、直感的に書いています。なにかデータご存知の方は教えてください)
>男児に向けて「わたしたちが子どもに教えるべき」ことも考えたいと思います。
と、トリップ氏はお書きになっていた。
率直にいえば。男の子に「レイプをしてはいけない」と教えることがどの程度効果的か、私は疑問に思う。
性は、タブーの帳(とばり)のなかにあって、けれど好奇心を誘う。
「セックスの話を、してはいけない(けれど魅力的)」
と、
「レイプをしてはいけない」
が、同じ帳、同じ魅力のレベルに、「間違えられて」はいけないと思う。
むしろ教えるべきは、「レイプをしてはいけない」ではなく「愛のあるセックスに精だす」ことの大切さなのだろうが、いわゆる性教育はかならず「寝た子を起す」批判を浴びる。
実際、子供の成熟度は一人一人違い、興味の度合いも違う。同じ歳の子供を一律に扱わざるを得ない学校教育では、個体差にあわせた教育はきわめてフォローしがたいし、学校の教室で学ぶ性にはタブーの帳の魅力はない。
たぶん。コミックとかライトノベルとか、あるいはインターネット経由で、密やかに、したたかに、大人はそれを伝えるべきなんじゃないかと私は夢想する。
ところが現実は。インターネットの普及により、子供たちは、本屋で店員の目をうかがうだけの躊躇もなく、さまざまな性情報に触れるようになった。
私はこのブログを《FC2》アダルトカテゴリーに「沈める」にあたり、ランキングをざっとたぐってみたことがあるのだが。
愛は、ないな(苦笑)
「性情報にいっさい触れさせるな」という昔のPTAのようなことを言うつもりはない。ただ、ネットにおける性情報は、レイプを否定しないビデオや動画、恋愛感情をともなわない快楽だけのセックスを是とするいわゆる「出会い系」の情報の比率が異様に高い気がする。いや、ネットが普及する前から、「男性向けの性情報」はそういうものだったのかもしれない、私がよく知らないだけで。問題は、それが、子供たちにあまりに手軽に手に入ることだ。
最近、若年層むけのフィルタリングという技術も始まったようだが。「エロか否か」ではない、もっと別の切り口が、必要であるような気がしてならない。
──などと、冷めた目で見ているのは、やっぱり私が自分で子供を生んでないせいなのかもしれないが……。
「私の言葉は、軽いナイフではありません。持ち嵩りのする出刃包丁です」
と、タンカを切ったのは当時のことである。ちなみに、「女狐僧正」という二つ名は、そのゲームで、回復僧正として仕えた君主に賜った。
ンでもって、最近。「ブログ論系」の身近で、ちょっとした諍いごとがあった。細かい事情は全て省くが、私にとって、選択肢は2つあった。対立構図になった両側にむかって出刃包丁振り回すか、(少なくとも表では)沈黙するかである。私は沈黙を選んだ。もっとも、年齢が上のほうの方には、私信で忌憚のないところを申し上げたので、言い残したことはない。若い方の方とは交流が切れた。切れてようやく、このブログを書くことにした。
巻頭言で、「私の沈黙の誓いも果てた」と書いたけれど。このブログで破った沈黙には、もう一つある。6年か7年前まで、私は、主にNIFTYなどで、それなりにフェミニズムやセクソロジーに関して発言をしていたのだが、この数年は沈黙していた。
なぜ沈黙したかというと、ある交流範囲のなかで自分が書きたいものはほぼ書きつくして、これ以上を書くと繰り返しに陥る、と感じた、というのが、一因ではある。だがもっと大きかったのは、フェミニズムが「女性を」幸福にしたか、その根本に疑問を感じた、ということがある。
このブログの最初に書いたように、フェミニズムは「私を」幸福にした。あの時期、フェミニズムに出会っていなかったら、私は今よりもさらに惑い、身近にいるものの価値観に屈した進み方をし、結果として自分自身の感覚にあわない生活を自分に強いていただろう。フェミニズムは私を幸福にした。この言い方にもし語弊があるとしたら、フェミニズムは私をある種の不幸から助け上げた。
だが、私は、身近の女性の友人たちが、「かつての価値観」であれば順風満帆の生活……本人が望んだ相手との結婚、専業主婦、子育て……を送りながら、
「イマドキ、これでいいのかしら」
と、疑問を口にするのを見てきた。
たとえば、である。私という一人が、フェミニズムによって10の「幸福度」を得たとしよう。しかし11人が1ずつ「幸福度」を減じていたとしたら、その集団は、フェミニズムによって幸福になったと言えるだろうか。
フェミニズムは私を幸福にした。けれど、フェミニズムが「女性を」幸福にしたか? そこに疑問をもったときに、私は、「私の幸福」を喧伝しつづけることに躊躇を感じて、口を閉ざしたのである。
数年のうちに、交流の範囲がすっかり入れ替わって、「同じ方たちに同じことばかり読ませている」という状況が変化したこともある。それから、世間において、男女均等が進み、その分、フェミニズムやセクソロジーの声が小さくなった気がするというのも少しある。私はもう一度、いま、お付き合いのある方たちの前で、自分の立脚点をまとめてみたいと思ったのもある。
とはいえ。「WEBでオープンに公表はするが、18禁」というハンパな形を取らさせていただいた。
読んでいただいた方のなかには、お気づきの方も多いと思うのだが、今回書いた内容は、成書のなかにあった仮説にさらに自分の仮説を積み上げている部分がある。ご自分の考えがすでに確立している方であれば、「こんなことを考える奴もいるのか」で済むが、まだ観念が固まってないティーンエイジャーに見せて、その人の考え方の「基礎工事の部分」に組み込まれてしまうには、いささか自信がない。
かなり「オタク」系の話になって恐縮だが。
私は、中学1年まで「赤ん坊がどこから生まれてくるか」理解していなかった。「オクテ」というより、ちとばかり「ぼんやりしている」と言うべきであろう。中1でそれを知って、とっても驚いた……、という話は、ある方のブログのコメント欄で、ちらっと書かせていただいたことがある。
で。クラスに、当時はそんな言葉さえなかったと思うが、「いまでいうオタク」の人たちがいて。中学2年で、「いまでいうBL」系の話題を知った。「男性/女性の常識」が自分のなかで確立するまえに、違う知識が流入している感じである。現在の私が、同性愛というものにまったくタブー感を感じることができないのは、どうも、このせいではないかと思うのだ。
よく、語学の習得には、「適齢期」があるという。肝心の年代には諸説はあるようだが、ある年齢までに習得するのが効率がいいようだ。性の常識、モラルといったものにも、なにかそんな「適齢期」があるのではないかという気がするのだ。(これについてはまとまった研究をみたことがない、直感的に書いています。なにかデータご存知の方は教えてください)
>男児に向けて「わたしたちが子どもに教えるべき」ことも考えたいと思います。
と、トリップ氏はお書きになっていた。
率直にいえば。男の子に「レイプをしてはいけない」と教えることがどの程度効果的か、私は疑問に思う。
性は、タブーの帳(とばり)のなかにあって、けれど好奇心を誘う。
「セックスの話を、してはいけない(けれど魅力的)」
と、
「レイプをしてはいけない」
が、同じ帳、同じ魅力のレベルに、「間違えられて」はいけないと思う。
むしろ教えるべきは、「レイプをしてはいけない」ではなく「愛のあるセックスに精だす」ことの大切さなのだろうが、いわゆる性教育はかならず「寝た子を起す」批判を浴びる。
実際、子供の成熟度は一人一人違い、興味の度合いも違う。同じ歳の子供を一律に扱わざるを得ない学校教育では、個体差にあわせた教育はきわめてフォローしがたいし、学校の教室で学ぶ性にはタブーの帳の魅力はない。
たぶん。コミックとかライトノベルとか、あるいはインターネット経由で、密やかに、したたかに、大人はそれを伝えるべきなんじゃないかと私は夢想する。
ところが現実は。インターネットの普及により、子供たちは、本屋で店員の目をうかがうだけの躊躇もなく、さまざまな性情報に触れるようになった。
私はこのブログを《FC2》アダルトカテゴリーに「沈める」にあたり、ランキングをざっとたぐってみたことがあるのだが。
愛は、ないな(苦笑)
「性情報にいっさい触れさせるな」という昔のPTAのようなことを言うつもりはない。ただ、ネットにおける性情報は、レイプを否定しないビデオや動画、恋愛感情をともなわない快楽だけのセックスを是とするいわゆる「出会い系」の情報の比率が異様に高い気がする。いや、ネットが普及する前から、「男性向けの性情報」はそういうものだったのかもしれない、私がよく知らないだけで。問題は、それが、子供たちにあまりに手軽に手に入ることだ。
最近、若年層むけのフィルタリングという技術も始まったようだが。「エロか否か」ではない、もっと別の切り口が、必要であるような気がしてならない。
──などと、冷めた目で見ているのは、やっぱり私が自分で子供を生んでないせいなのかもしれないが……。

