FC2ブログ
| | MENU
 アンデルセンの童話「野の白鳥」で、沈黙の誓いとともに編みあげたイラクサの帷子を白鳥たちに投げた後、エルザは叫ぶ。「私は魔女ではありません!」
 私の沈黙の誓いも果てた。「私は自業自得論者ではない!」叫ぶためだけに立てたささやかなブログ、十八禁。コメントいただける場合には、ローカルルール必読でお願いします。
「ブロとも」申請は受け付けていません。パスワード入力からご閲覧をお願いします。
[Edit]
◇更新履歴◇

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

寄稿掲載

 ある方からメールにて、下記の「論文(?)」をいただきました。本人から「個人研究レベル」「どれぐらい真実味があるのかわからない」とのコメントもいただいたのですが、私個人がなかなかに近づきにくい「えろぼん」という分野に切り込んでいらっしゃること、100冊のうち15冊が「単純強姦」であるというデータなどはなかなか得がたい指摘であることから、掲載させていただくことにしました。(作者の許可は得ています) なお、うちは「あてもの」サイトではありませんので、作者類推のコメントを仮にいただいても返答はいたしません(にっこり)

-----ここより引用-----

えろぼんの定義とは何か?

男性または女性または両性に対し、視覚的な表現を介して性的な興奮を起こさせる印刷物。
補足すると、えろぼんにもいろいろ種類がある。

1 扇情的な視覚的表現がえんえん続くもの。アイドルのグラビアなど。
2 ただの扇情的な視覚表現の集合ではなく、そこに人物・社会・時代、大道具小道具などによって劇がしつらえられているもの。いわゆるエロ漫画。

1に関していえば、まず視覚情報がある場合、人間はそれを見て「それが何か」という分類をし、それがどんなものでどんな体感を持つかということを感じとる。このとき、視覚情報に、特に何か強く感情に訴えたり、励起したりする作用があるもの、またはそれを狙って作られたものを「表現」と分類できる。それ以外はただ単に意味のない情報であるか、またはなにかの「説明」にとどまる。えろぼんの場合、説明と表現の分水嶺は「煽情性」の有無にある。
医学的なデータのような写真を見ても人間はそこに煽情性を見出さず無反応だが、優れたポルノ写真は確かに煽情性には優れている。

2に関していえば、これはただ単に1のような視覚情報の形をとらず、そこに人物がいて、社会があって、規律や道徳があって……という「劇」が存在する。この「劇」を通じて、表現の受け手はたんなる煽情性にとどまらない何かを感受する。感受されるものの質はその作品によって様々であり、功罪もまた種々存在する。

次に単なる煽情性にとどまらないえろぼん、つまりえろ漫画についてデータを取る。
「劇」があり、この劇を調べることで、えろ漫画というものは、主に何を主題として何を作り出そうとしているのか? が全体的な傾向として見えてくることを期待する。

データとなる作品のほうの抽出選択の基準については作画技術が高いかどうかのみである。データを落としてきたDLサイトでは、作品は表紙絵のほか内容や粗筋はわからない。したがって選択基準は主観的に「絵がうまいか否か」で決定されている。

無作為に選んだ作品100編の概要をそれぞれ分類する。同一作家の作品は除外する。作家の性は考慮しない。性交渉が異性間で行われるか・同性間で行われるかは考慮しない。また作画された年代は考慮しない。
判断基準として、両性の承諾が見られず、一方的な性交渉を行っているものは強姦とみなした。性交渉の後に両性が承諾状態に入るものも強姦と分類した。
和姦の判断基準としては、倫理や性差・近親関係を考慮せず、両性の承諾があるもの・みられるものを和姦と分類した。

強姦的なテーマ・思想を用いている 40作品
和姦的なテーマ・思想を用いている 60作品

データの考察 各種の「劇」と求めるもの

強姦的なテーマを用いたものをさらに分類する。
テーマ1 単純に快楽を追求する
テーマ2 快楽に対する幻想

 仮に強姦する側を行為者(男性が多い)と、強姦される側を被行為者(女性が多い)とする。

 1のタイプのほぼすべての作品に見られる特徴は何か。
 両者の間に心理的な交流は見られない。また行為者が被行為者に確認するのは肉体的快楽の有無である。
 2の場合、行為者が被行為者に対し好意を持っている場合がある。交渉後両者の同意に到るケースも見られるが、全人格的な観察からの合意ではないことが多い。性的な快楽と心理状態とを混同したフェイクの恋愛関係を構築して終了していることが多い。
 
・特徴
 肉体的快楽の偏在。被行為者に快楽が存在するかどうかは問題としない。
 感情の遮断。
 行為者の主体化と被行為者の客体化が著しい。
 被行為者は対等ではなく物体として認知される。
 行為者は人間を破壊・玩弄する快楽、肉体的快楽、所持と行使の快楽を得る。
 
 つまり強姦は被行為者の客体化と快楽の搾取である。

・強姦はなぜデータの4割を占めるか? なぜ支持され、消費されるか?
 この4割には単純に快楽を追及するタイプ(単純強姦)と、快楽に対する幻想(被行為者内の心理において、性的快楽と好意を混同する)を用いる(和姦化)タイプが混じっている。このうち単純強姦の作品は15。残りの25は何らかの形で、強姦を和姦化している。これらは作り手の倫理観念または罪悪感から単純強姦のスタイルに補正を加えているものである。見逃せないのは和姦と分類された中にもこの幻想を使用している作品が多いということである。また、両性の承諾が曖昧なまま性交渉が行われる場合、強姦か和姦かという線引きは難しい。また、所持したい・征服したいという欲望は両性の間に普遍的に存在する。女性作家の創作するショタ系の漫画・ゲイ漫画にも強姦は存在する。とはいえ全体数と比率から、非常に少ない。

 強姦には快楽という面からのみ見て強い作用と刺激がある。
 まず「所持」。欲するものを手に入れるという人間の根源的な欲求であり、幸福である。
 次に「破壊」。禁忌を破壊し無視すること、人間という存在を破壊すること、人間の感情を無視し去ること、これらはすべて後ろ暗い快楽をもたらす。
 次に「行使」。人間は、客体(石や木)よりは本来主体的なもの(動物)に力を及ぼすことに強い満足を覚える。
 最後に肉体的快楽が加わる。
 行為者の多くの側である男性は、社会的役割として、目的を達成し、行為を及ぼすことが重視されてきた。歴史的にも記録されているのは「王」であり、記録されるに足ると認められているものは、「英雄が何をしたか」である。何を感じたかではない。男性の根底には感情より行為に重点を置く価値観が一貫して植えつけられている。男性の心理からすれば、感情の交流や何か情動を起こすことは二次的なことであり、それよりは行為こそが馴染みやすく満足しやすい。所持・破壊・行使の3つの要素はすべて行為にまつわる快楽であり、男性側にとり直結的に満たしやすい情動である。
 同時に、こうした劇の中では、肉体的快楽は合意なしにも自動的に発生すると暗黙のうちに「信じられている」が、真偽は不明である。一般的に、劇は、真実より都合の良い幻想やステレオタイプを好む傾向が強い。いずれにせよこの前提は被行為者に適用される。表現の受け手は何を煽情性のよりどころとするか。驚くべきことにそれは被行為者の苦痛よりは快楽である。これらの単純強姦の劇のほぼすべてに、暗黙の前提による肉体的快楽は被行為者に与えられている。何故か?
「所持」「破壊」「行使」のほかに、抜きがたいもう一つの欲求「愛」があり、このためにもう一つのタイプの強姦の劇が生じている。

 強姦を和姦化するのはなぜか?
 これらの劇の中では「肉体的快楽は合意なしにも自動的に発生する」という暗黙の前提によって、快楽を一方的に与えるという図式が成立している。
 これには上記3つの行為的な快楽の正当化、罪悪の打ち消しがあげられる。
 また、強姦は被行為者の客体化と快楽の搾取に過ぎない。と同時に、行為者の偏った快楽の享受にとどまり、精神的な虚無感、愛されたい・他者からよく思われたいという虚栄心は決して充足されない。他者から認められることや想われることは対等な関係からのみ生じるが、客体化からはそうしたものは生まれない。合意なしに生じる快楽を被行為者に与えるのは、対等な関係なくしても快楽という共通の地平上に行為者と被行為者を置くためである。ここに快楽と好意の混同が生じる。
 快楽に対する幻想(合意なしの快楽・快楽と行為の混同)は、被行為者を行為者と対等な関係に擬似的に復帰させる。「感じれば和姦」という幻想である。ただし快楽を与える側、所有者としての優位性は行為者に留保される。
 少し考えればわかるが、精神的に快楽と愛は厳密に分離されており、「レイプから始まる恋」といったたぐいの幻想は、実相には存在しない。

和姦的なテーマを用いたものは
1 作品の土台に感情の交流がある
2 愛情の確認・達成を目的とする
 ものが多い。

 単純強姦の劇と異なり、和姦の劇では性交渉は同意によって行われる。交流を前提とするため一方的な行為・被行為という図式は存在しない。
 
・特徴は何か?
 単純強姦の劇が一定化されているのに較べ、非常に劇のバリエーションが豊富である。愛情の醸成や確認、合意といった目的を達成するための劇であるから、単純強姦より、比較にならないほどその過程が幅広い。
 また、自由恋愛という思想によって作られている。これは一時代前の男尊女卑的な(漫画というより劇画に近い)作風から離脱している。何故か? サブカルチャーは常に守旧的な倫理観と対立する存在であり、新しいもの、自由なもの(倫理を問わない)を目ざす傾向がある。ことに目的である自発的な好意・愛は対等な関係において生じるため、劇にも自由恋愛が選択される。
 ノーマルな性交渉の場合、男性には女性に快楽を与える・生じさせるという快楽が強い。行って達成するという行為に根差した快楽である。表現の特徴としては女性の状態を描き、男性は意図的に省かれる。女性の表情・姿態・体位・発情の度合いなどを詳細に、視覚的に表現することに全力が注がれる。快楽の基準・認識は肉体である。

・特異点となるのが、女性と男性が逆転した劇である。または、女性作家が創作した劇である。そこで以前ショタ系同人誌を研究しようと思い立ったのだが、なかなかサンプルがなくやめてしまった。
代わりにレディースコミックをいくつか観察したところ、青年雑誌のそれのように性描写の追及に相当な重点を置くという作品はあまり見られない。
スポンサーサイト
[PR]

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

ブログ管理MENU(新)

ブログ内検索

RSSフィード

NewMark

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。