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 アンデルセンの童話「野の白鳥」で、沈黙の誓いとともに編みあげたイラクサの帷子を白鳥たちに投げた後、エルザは叫ぶ。「私は魔女ではありません!」
 私の沈黙の誓いも果てた。「私は自業自得論者ではない!」叫ぶためだけに立てたささやかなブログ、十八禁。コメントいただける場合には、ローカルルール必読でお願いします。
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re#8

 2008年4月の稿「沈黙と18禁」に書いたとおり、私は、レイプ礼賛の小説やマンガを、自らのモラルができあがっていない青少年に与えることは、避けたほうがいいのではないか、という意見を持っている。このあたり、悪評高い東京都と、非常に似た考え方であるわけだ。

 ウルトラマンや仮面ライダーは、ワルモノを殺す。だが、それが殺人を誘発するとは思わない。だが、レイプ礼賛作品は「あぶない」と思う。なぜかというと。

「人を殺してはいけない」、というテーゼは、幼時から繰り返し刷り込まれる。
 しかし、「レイプしてはいけない」というテーゼは?

 私はある年まで、性交という行為の存在を知らなかった。それはたしかに私がぼんやりした子供だったからかもしれないが、でも、今でもやはり、「人を殺してはいけない」と刷り込まれるよりは、後に知るのではないだろうか。
 それとほぼ時期を同じくして、「レイプしてはいけない」というモラルと、「女はしょせんレイプを待っている」という物語が、与えられるのではないか。少なくとも、私の場合は、ほぼ同じ時期だったのだ。
 この2つのうち、どちらが正しいか? 
 私は女だから判断できた。私はレイプなんて大嫌いだ。人に何かを強いられるのが大嫌いだし、痛いのも怖いのも大嫌いだ。だから他の女性も同じだと……もしかしたら少数の例外はあるかもしれないが……ほとんどはそうだと想像したし、それは正しいと今も信じている。
 だが、男の子はどうなのだろう。とくに、女の子を「自分とは違うもの」だと思い込んでいる男の子の場合。モラルと物語の正誤が、正しく判断できるのだろうか。私には、わからない。私は男の子だったことがないし、この面においては自分があまりに女であることを知っている。

 しかし、か。だから、か。私は、危ぶむ。恐れる。レイプ礼賛の物語が、あまりに無用心に「男の子」に与えられることを。

re:つる。つれづれ。ずらずら。#8

注:東京都の条例案の全体に賛同する者ではない。というか、案全体の内容を100%は理解していないことをお詫びしておく。ただし、「犯罪を肯定すること」を判断基準のひとつに取り入れたことについては、賛成する。

ref:東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案質問回答集
『「不健全図書」レベルのもの、すなわち、強姦や近親相姦など、実社会では社会的に許されない性行為について、読者の性的好奇心を満たすため、あたかも楽しいこと、社会的に許されることであるかのように描く漫画などが、「表示図書」制度の対象となります。』

 

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2010年06月

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